東京と地方の関係を見つめ直すストーリー
第3話|東京に集まりすぎた機能は、止まった時にどうなるのか
ある日、いつも通りの朝でした。
電車は動き、信号は変わり、コンビニには商品が並んでいる。誰もが、それが続くことを疑っていません。
昼前、スマートフォンに通知が届きます。
――大規模地震発生――
最初は、どこか遠くの出来事のように感じる。
しかし数分後、電車が止まる。エレベーターが止まる。通信が不安定になる。
夕方になる頃には、街の空気が変わっています。コンビニの棚から、飲み物が消える。スーパーには長い列ができる。
「まあ、すぐ戻るだろう」誰もが、そう思おうとします。
だが、その“すぐ”は来ない。物流が止まる。ガソリンが届かない。発電の一部が止まる。次の日、パンは入荷しない。その次の日、水も少なくなる。
ここで、ようやく気づきます。この街は、自分たちの力だけでは、何も維持できない。
食べ物は、外から来ていた。エネルギーも、外から来ていた。日々の“当たり前”は、すべて外部に支えられていた。
東京は、強い街だったのではない。支えられていた街だった。
人は焦り始めます。しかし、誰も悪くない。誰も止められなかった。ただ、そういう構造の上に成り立っていただけです。
これは特別な出来事なのでしょうか。それとも、いつか起きることが分かっていた現実なのでしょうか。
分散は理想だけではなく、備えでもあります。「起きてから考える」のか、「起きる前に設計する」のか。どのように備えていくかを、あらかじめ考えておく必要があるのかもしれません。
この先で必要になるのは、備えを個人の努力だけに閉じ込めないことです。水や食料を用意することは大切ですが、それだけでは都市全体の脆さは変わりません。
主要都市と地方都市が、平時から役割を分け合う。災害時には別の地域が一部機能を引き受けられる。企業や行政の意思決定が、一つの場所に偏りすぎない。
そのためには、都市間連携、税の配分、本社機能の分散、地方都市の産業づくりを、別々の話ではなく同じ構造の中で考える必要があります。