テーマ連動コラム

「叱る」と「怒る」、あなたは使い分けていますか?

子どもを守る強さと、子どもを育てる冷静さを考える

子育ては理想論だけでは回りません。だからこそ、感情のまま止めることと、子どもを理解へ導くことを分けて考える視点が必要です。

もどる

子育てはきれいごとでは済みません。何人もの子どもを抱え、仕事や家事にも追われる中で、 親がいつも冷静でいられるかといえば、決してそんなことはないでしょう。疲れている日もある。 余裕がない日もある。何度言っても伝わらず、つい感情が先に立ってしまうこともある。 その現実を無視して、親に完璧さだけを求めても意味はありません。

ただ、その大変さを踏まえたうえでも、一度立ち止まって考えたいことがあります。 いま自分は、子どもを正しい方向へ導こうとしているのか。 それとも、目の前の行動をただ止めさせたいだけなのか。 この違いは、思っている以上に大きな意味を持ちます。

子どもを止めることと、子どもを育てることは、似ているようで同じではありません。

たとえば、道路に飛び出そうとした、危ない物を振り回している、誰かを強くたたいた。 そんな場面では、まず強く止める必要があります。命や安全が関わるときに、悠長に説明している余裕はありません。 その瞬間は、大きな声が出てもよいし、厳しい口調になってもよい。 そこでは「怒る」に近い反応が必要になる場面もあるでしょう。

しかし、それだけで終わってしまえば、子どもの中に残るのは「怖かった」という感覚だけです。 なぜいけなかったのか。なぜ止められたのか。次はどう行動すべきなのか。 そこまで届かなければ、子どもは本当の意味では学べません。

怒ることが必要な場面はあります。けれど、育ちを残すのは、その後の「叱る」です。

叱るとは、感情をぶつけることではありません。相手を傷つけることでも、力で従わせることでもありません。 何が問題だったのかを伝え、なぜだめなのかを理解させ、次にどうすべきかを示すこと。 つまり叱るとは、子どもを罰する行為ではなく、子どもを育てる行為です。

一方で怒るという行為は、親自身の疲れや焦りの発散になりやすい面があります。 腹が立った、余裕がなかった、何度も同じことを繰り返された。その事情は現実としてあるでしょう。 けれど、感情のまま怒鳴りつけるだけでは、子どもに残りやすいのは善悪の基準ではなく、 「親の機嫌を損ねたら怖い」という感覚です。それでは、自分で考えて行動を改める力は育ちにくくなります。

だからこそ大切なのは、感情が出てしまったあとに、そのままで終わらせないことです。 危険な行動を強く止めたなら、そのあとに理由を伝える。 きつい言い方になってしまったなら、少し落ち着いてから言葉を補う。 「さっきは強く言ったけれど、あなたが大事だから止めたんだ」と伝え、次はどうするべきかを示す。 このひと手間があるかないかで、子どもが受け取るものは大きく変わります。

子どもを守るための強さと、子どもを育てるための冷静さ。その両方が家庭には必要です。

近年、子どもや若者をめぐる人間関係の荒れや、感情の制御の弱さが目立つ場面が増えています。 もちろん、それをすべて家庭だけの責任にすることはできません。けれど、ただ止められた経験はあっても、 なぜいけないのかを丁寧に示される経験が薄いまま育つことの危うさは、もっと直視されてよいはずです。

親も人間です。完璧である必要はありません。 それでも、「怒る」と「叱る」は同じではないという意識を持つだけで、家庭の言葉は少しずつ変わっていきます。 止めるだけの子育てではなく、導く子育てへ。 子どもを守るための強さと、子どもを育てるための冷静さ。その両方を持てる社会でありたいものです。