コラム

曖昧さは“逃げ”ではなく“均衡”である

― グレーゾーンに宿る、日本社会の設計思想 ―

「日本人は曖昧だ」と言われる。しかしその言葉は、本質の半分しか捉えていない。

曖昧さは、何も決めないことではありません。白黒を急いで決める前に、関係を壊さず、余白を残し、複数の価値を同時に置いておくための社会技術でもあります。

曖昧さとは“決めないこと”ではない

日本の曖昧さは、単なる優柔不断ではありません。相手の立場、場の空気、制度の建前、現実の運用、将来の変化を同時に見ながら、すぐには壊さない形を選ぶ知恵でもあります。

もちろん、すべてを曖昧にすればよいわけではありません。安全、責任、契約、法律、医療、災害対応のように、明確にしなければならない領域もあります。問題は、曖昧さそのものではなく、曖昧にしてよいものと、してはいけないものを分けられないことです。

白か黒かを急がず、少しだけ余白を残しておく。

いまは、すぐ答えを求める時代です。 賛成か反対か。正しいか間違いか。 けれど、本当にそんなふうに割り切れることばかりなのでしょうか。

曖昧さは、不親切に見えることもあります。 でもその中には、関係を壊さないための距離感や、 言い切らないことで残せる余白もあります。

日本社会が長く持っていたこの感覚を、 「逃げ」とだけ呼んでしまってよいのか。 少し考えてみたくなります。