公務員には業務に就く前に社会経験を積むべし
日本の行政機関は、なぜここまで硬直してしまったのだろうか。
窓口では「規則ですので」が繰り返され、地域事情より前例が優先される。柔軟に対応しようとすると、「責任問題になる」「監査が来る」「クレームになる」と止められる。
もちろん、公平性は大切だ。法律を守ることも必要だ。しかし本来、地方行政とは、国の制度をその地域の現実に合わせて運用するために存在しているはずである。
もし単純に「書いてあることをそのまま処理するだけ」ならば、将来的にはAIやシステムで代替できる業務も多いだろう。
では、人間の公務員に本当に必要なものとは何か。私は、それは「社会経験」だと思っている。
現在の日本では、多くの公務員が、学校卒業後すぐに行政機関へ入る。もちろん優秀な人も多い。真面目な人も多い。
だが一方で、民間企業で働いた経験、客に頭を下げた経験、売上を作る苦労、現場で怒られる経験、子育て世代の生活感覚、地域経済の厳しさを知らないまま、「制度を運用する側」に回ってしまうケースも少なくない。
これは、建築や医療など他分野と比較すると少し特殊である。例えば建築系資格では、一定の実務経験が重視される。つまり、「人命や社会を扱うには、現場を知っていなければならない」という考え方が制度に組み込まれている。
しかし行政や司法では、試験に合格すれば、比較的早い段階から強い権限を持つことができる。その結果、「制度は知っているが、社会を知らない」という状態が生まれやすい。
私は、公務員制度にも「社会経験期間」が必要ではないかと思っている。
例えば、民間経験3年以上を受験資格にする、入庁後3年間は民間企業や地域団体へ出向する、商店街、介護、保育、建設、物流などの現場研修を義務化する、地方公務員は地域企業やNPOとの共同活動を経験する、などである。
もちろん、これは「公務員批判」をしたいわけではない。むしろ逆だ。
現場には、真面目で苦しんでいる職員も大勢いる。変えたいと思いながら、前例や責任問題に縛られている人もいる。
だから必要なのは、「公務員を叩くこと」ではなく、「制度運用側に、社会の空気を流し込むこと」だと思う。
今の日本は、失敗を極端に恐れる社会になっている。
公園から危険な遊具が消え、学校はクレームを恐れ、行政は前例に縛られる。安全を求めた結果、挑戦しない社会になりつつある。
だが、本来人間は、小さな失敗、現場の混乱、他人との衝突、理不尽な経験を通して、相手の立場や社会の現実を学んでいく。
行政機関だけが、その経験を飛ばしたまま「運用側」へ入ってしまえば、制度は次第に現実から離れていく。そして国民もまた、「役所は話が通じない」と感じ始める。
この距離感こそが、今の日本社会の息苦しさの一因なのではないだろうか。
これからAI化が進めば、単純処理や定型業務はますます自動化されていく。
だからこそ、人間の公務員には、現場感覚、対話力、柔軟性、生活実感、地域理解が、今まで以上に求められる時代になる。
制度を守るだけならAIでいい。しかし、人間を理解しながら制度を運用するには、人間としての経験が必要なのである。
日本の行政に今必要なのは、単なるデジタル化だけではない。「社会を知る行政官」を育てることではないだろうか。